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予定日はジミー・ペイジ

予定日はジミー・ペイジ (新潮文庫)

予定日はジミー・ペイジ (新潮文庫)

 

一箱古本市で手に入れた文庫本。
“著者描き下ろしイラスト”というのに惹かれました。
角田光代さんも、何作かまとめて読んだ時期があった作家さん。

 

角田さんの言葉、沁みてくるんですよね。
年齢が近いからか、状況はまったく違うのになぜだか共感できて、気持ちよく物語の中に入っていけます。
入っていくというより、いつの間にか、物語の中に居る。

テンポがいいので、どんどん読み進めます。
そしたら、あーーーーっ!
思わず、付箋を貼ってしまった部分がありました。
「プレママクラス」に初めて参加した後の、主人公 マキさんの心の声。

今まで、すべてに自信がなくて、失敗するたびくよくよ落ち込んで、前向きになったことなんかかつて一度あるかないかで、なんでもすぐ人のせいにして、怒り散らして、手に負えなくなると背中向けてしらんふりして、そうやって三十数年間生きてきたんだもん、赤ん坊できた瞬間に、おだやかでたおやかでゆったりした寛容な女になれるわけなんかないんだよ。なりたいけど、そんなの、仮面ライダーにしてくださいっていうくらい無理なんだもん。

三十数年間どころか四十数年間だし、赤ん坊もいないけど。
マキさんは、ダンナも居て、妊娠していて、充分ステキで充実してそうだけどなぁ...。
一番感心したのは、マキさんが料理上手らしいこと。
えー、あんなに献立考えるのぉ!?と思いました。

最近になって、“マズイものは嫌だけど、食べものにこだわりがない”のは、父譲りだと知って、ガックリ。
さらに、年齢を重ねて昔ほど“食べたい”欲が減っていて、“おいしいものを食べる”より、“きもちよく食べたい”だけです。

 

さらに、付箋箇所は増えていきました。

なんにもないんじゃなくて、
はじめての何かがやってくるのだ。

私のおなかの子ども。この子どもは、きっとそういうものでできている。だれかを好きだと思うこと、必要だと思うこと、失うのがこわいと思うこと、笑うこと、泣くこと、酔っぱらうこと、少し先を歩くてのひらにてのひらをからめたいと思うこと。神さまお願いだからこの人を守ってくださいと思うこと、この人が笑っていられますように思うこと、この人がこわいものすべてから遠く隔たっていられますように思うこと。しげピーとのことだけじゃない、今まで私が、いや、私だけでなく、夫もまた、幾度もくりかえしてきた、祈りみたいなそういう気分。私がこれから産み落とすのは、そういうものだ。
平気だ。突然、すごく強い気持ちでそう思った。

節の太いその手のひらを見ていたら、なぜだろう、なんなんだろう、私は急に自分がしあわせだと感じた。漠然と感じたのではなくて、止まっていた噴水が勢いよく水を噴きだしめるように、しあわせだという気分が心のどこか知らない部分から、次々とあふれ出してきたのだった。これはいったいなんなのか、始末に負えないような至高感。

おなかのなかの生きものは、私たちが幾度もくりかえしてきた祈りみたいな気分でできている、ということだ。あの夜夫も言っていた。海や空を見てきれいだと思う気持ち、そういうものだけ吸い取ってこの子は生まれてくるのだと。
私がいま後生大事におなかに抱えているものは、未だ個人ではなくて、私という個人の子どもですらなくて、何かの一部なのかもしれない。海とか空とか木とか花とか、そういうものの。見知らぬ人がなんの垣根もなく話しかけてくれるのは、だからなんじゃないか。空とか花とかは、だれかひとりのものではない、みんなで愛でるものだから。

何かの一部なのかもしれない。海とか空とか木とか花とか”。
この感じは、以前読んだ、谷川俊太郎さんの詩にもあったように記憶しています。

自分もそういうものだったのかもしれない、
そう思ったら、ほんわりしあわせな気分になりました。

そして、なぜかしら、読んでるうちに涙が何度か出て、スッキリもしました。
そう、スッキリ。
待っていた、または自分の中にモヤモヤと在ったものを、
言葉として受け取れた安心感。

 

こんな風に言葉が出てくるなら、妊娠おもしろそうだなぁなんて思ってしまいました。
あ、これは小説でした。
しかも、角田さんは妊娠・出産経験がないのです。
小説家だから、紡ぎ出せた言葉でした。

三十を超えてからだろうか、年に数回しか小説を読まなくなりました。
こんなにスルスルと読めるなら、また小説に手を出したいと思いました。