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母と娘の「しんどい関係」を見直す本

母と娘の「しんどい関係」を見直す本

母と娘の「しんどい関係」を見直す本

 

PHPスペシャル「どうしても許せない人」を読んで、気になった石原加受子さんの電子書籍Amazonで購入。
人間関係の対象が「母娘」とピンポイントで、分かりやすかった。

電子書籍だからか、速く読めた。
気になった箇所にはブックマークを入れて、後からまた読み直し、ノートに書き写し。
自分にとって、どこが響いたのか再考した。

 

小さい頃から「相手が、周りが何を期待しているか」察する癖がついていた。
それが、“気配り”だと勘違いしていた時期もあった。

我慢したり、相手のことを優先しているのに、報われない、という想いがあった。
自分の思い通りに行動している人の方が愛されている、と嫉ましかった。
「自分は価値がない人間だから」と思い込んで、嫉むことも諦めてた。

自分の感情に鈍感になってしまえば、打たれ強くなる代わりに、自分が、どういうときに傷ついたのかが分からなくなってしまいます。鈍感になるということは、つまり、「傷つくから、感じないようにする」ということです。

(中略)

顕在意識では「傷ついていない」ように感じたとしても、それは顕在意識の感じ方が鈍感になっているだけで、“無意識の自分”はしっかりと傷ついていて、それを知っています。

私、「他者中心」の言動パターンに陥っていたんだ。
劇的な事件があったわけでなくとも、日々の小さなことの積み重ねがそのパターンを作っていった。
そういう捉え方でいいんだ、ってことで救われた。

 

ちょっと変な家族かなとは思っていても、具体的に他人と比べることはなく、そもそも生まれた時からの環境なので、比較の視点も影響されている。
そんな当たり前のこと、他人のことだと何となく分かるのに、自分には当てはめていなかった。

そして、そのために息苦しさを覚えても、その感情を抑えていた。
更に、自分が感じた嫌な想いを、知らず知らず、家族や他人に向けるようになっていた。
単なるコミュニケーション下手じゃなかったんだ...。

 

自分が楽になるために、“自覚する”“決断する”ことが、大切だと分かった。
今さら!?って、自分に驚くけど、今さら。
今まで頭では分かっていたつもりだったけど、しっかりとは納得していなかったことにも驚く。

“小さなこと”で、親を否定するのは間違っていると思ってた。
親(あるいは攻撃してくる他人)も大変な想いをしているんだから、私も我慢しなくちゃいけない、なんて思ってた。
そう期待されていると思ってた。
だけど、そのことと自分が辛い想いをしたことは、別の話だ。
相殺するもんじゃないんだ。

 

まずは、自分自身から。
本当は傷ついていたことを認める。
傷ついていたけれど平気な振りをしていたことを、自分自身に謝る。