ちゃぶ台
“一冊入魂”のミシマ社が雑誌を作りました。
ウェブマガジン「みんなのミシマガジン」のサポーター向け非売品はありました。
わたしもサポーターになっています。
しかし、市販用雑誌は初めてです。
「みんなのミシマガジン」サポーターでもあるし、他にも買いたい本があるし...と購入を悩んでいましたが、ある日、ネット通販でポチっ。
届いた『ちゃぶ台』は、見た目も中身も期待以上でした。
わたしの中のモヤモヤを晴れしてくれる ことばに出合えました。
たとえば、内田樹さんのことば。
周防大島での講演会の内容です。
今の農業に関する言説についていつも僕が感じる不満は、農業を語る人々が「正しい唯一の正解があるのに、それが実行されていない」というタイプの思考に領されていることです。
今の日本の農業政策が破綻しているのは、市場と農業というそもそも噛み合わないものを「噛み合うはずだ」という前提に立って、「正解」を必死で探しているせいです。市場と農業が安定的に、ウィン=ウィンの関係で共生できるような「落としどころ」はありません。存在するはずがない。
つい、強い調子で滑らかに語られることに、そうなのかな、わたしの感覚が間違っているのかな、と思ってしまいます。
しかし、納得できていませんでした。
細かいところまで理解できていませんが、内田さんのことばには納得できます。
あー、スッキリ。
スッキリしても、農業の現場でのお金の課題への対応は難しいです。
ただ、内田さんは「希望はあります」と言っています。
“生身の身体”で対応する、矛盾の間に投入するのだそうです。
頭で考えることや理屈でなく、身体や感覚を大事に。
それは、農業や地方だけの課題ではないのだと思います。
そして、西村佳哲さんのことば。
徳島県神山町へ移住した西村さんに、ミシマ社代表の三島さんがインタビューしています。
なかでも、「自分づきあい」ということばが気になりました。
「自分の言葉でしゃべる」っていうのが自分づきあいの一番ポータブルな方法論なんです。
「自分にとって鮮度の高い言葉でしゃべる」ってこと、「自分の実感を大切にしながらしゃべる」ってことが大切です。
面白かったのが、藤原辰史さんのことばです。
「食と戦争」をテーマにしたインタビューの中で出てくる“生きることがパッケージ化されている”という指摘。
そして、生態学の視点が新鮮です。
生物学の生態学で習うんですけれども、自然界は「生産者」と「消費者」と「分解者」に分かれています。
(中略)
生産者は植物だけなんです。それはすごく素晴らしい視点。太陽光をブドウ糖にするのは生産者だけ。植物が太陽光で二酸化炭素と水でブドウ糖を作ってくれる。生態学はそれのみを生産者と呼ぶ。政治家たちがGDPに一喜一憂しているけど、「ほんとに生産してるの?」という感じですよね。
オーガニックについても、「有機農業」からカタカナになってプライベート化し、他者を排除する方向になっていきがちという視点にも、スッキリ。
たとえ農薬や化学肥料を使ったものであっても、「食べものである以上大切に食べます」という人のほうが、「わたしオーガニックじゃないとダメなの」って人よりは信頼したいなと思います。
自分の感覚に近いことばに出合えて、ホッとしました。
益田ミリさんやタルマーリー渡邉格さんのエッセイ、ホホホ座さんのインタビュー、などなど、隅から隅までワクワクして読みました。
佐藤ジュンコさんのコミックエッセイには、新潟が登場しています。
開いてみて、「あ、今読みたかった本だ」と分かりました。
ミシマ社さん、『ちゃぶ台』を出してくれて、ありがとう!