好きな人にモテる女になるたったひとつの魔法
いつもなら絶対手に取らないタイプのタイトルや見た目の本。
企画・編集の河田実紀さんのミシマガジンでの連載を読んでいたので、気になって買った。
中身は、わたしの好きな「自分への励まし」系メッセージが綴られていた。
ことばだけじゃなく、筋トレ・ストレッチやモノの紹介があるのが、慣れている本とは違った。
29の魔法のヒントが紹介されている。
「たったひとつの魔法」は、それらを通して近づける“生粋の自分で生きること”。
タイトルにある「好きな人」は、恋人やパートナーだけを指していない。
プロローグで、“家族や恋人、友人、同僚、上司や同僚など......あなたがこころから好きな人”と云っている。
表現は違うけれど、服部みれいさんの著書やホ・オポノポノ、そして『幸福なる人生 』からも感じたことと同じだと思った。
この1年、様々な形で、“本来の自分で生きる”というメッセージを受け取っている自分にもビックリ。
幸福なる人生
正月早々に胃腸風邪を引き、布団の中に居る時間が長くなった。
昨年末から、気持ちの落ち込みと波があって、「私って、だめだー」って気にもなった。
落ち込んだからこそ、出合えた。
使っている日記『SELF CLEANING DIARY2015 あたらしい自分になる手帖』に、お勧めの本として載っていたので、興味を持った。
もともと疑い深い性質なので、健康なときなら買わなかったと思う。
具合悪くても使える、ネット通販て便利だ。
講演テープを活字化したものなので、話しことばで、結構乱暴な物言いだ。
ちょっと苦手かも...と思ったけれど、他に何かする気にもならないし、眠るか読むかしていた。
そうしたら、「あ、わかる」「そうそう、それそれ」となっていった。
ぼんやりした頭で読んでいたから、再び読み直さないと、説明できる文章は無いのだけれど、読んだ記録として書いておく。
この本に書いてあった3つのことを毎日実践している。
- 布団に入るときに「お世話になります」と言う
- 鏡を使った信念強化法
- 臍下丹田に力を込めることを意識する
この本を読む前からやっている様々なことと繋がっていた。
このまま続けて行こう、と思えた。
そして、体調が戻ったら、あんなに落ち込んでいたのが嘘みたい。
やる気満々というわけではないけれど、静かな気持ち。
本当はちがうんだ日記
友人に勧められて、借りて読んだことはあるかもしれない。
雑誌に掲載されている文章は、読んだことある。
だから、わたしにとって「面白い」文章だということは知っていた。
やっと自分で買って読んだ、という感じ。
やっぱり、面白い。
いっぱい赤線を引いた。
言葉の使い方が、とても好き。
そして、「そうそう」と頷きたくなる、そして自嘲気味に口元が緩む文章なのだ。
引用しても、前後が分からなければ伝わらないと思うけど、いくつか転載してみる。
レベルがちがいすぎる。
うっかり八兵衛が風車の弥七になれないように、エレガントでないものは一生エレガントの世界にはいけないのか。
もっといいものに思われたいのだ。だが、もっといいものってなんだ。どうしたらそれになるんだろう。
間違えてはいけないと考えれば考えるほど、足は止まって、世界との距離は広がってゆく。
自分が愛されようという気持ちで全身がぱんぱんになっていて、相手の言動には異常に敏感。しかし、こちらから誰かに働きかけるということができないのだ。
躰(からだ)を包む硝子はそんな私を守っていたが、同時に世界に触れることを不可能にしていた。
自分に響いた箇所を読み直すと、自分があぶり出されていることに気づく。
必死に手足をバタバタ動かしているのに、思い切って足をついてみたら、全然進んでなかったような気分だ。
ただ、体の向きは変わっていて、見える景色がちょっと変わったようだ。
思うとおりに歩めばいいのよ
- 作者: ターシャテューダー,Tasha Tudor,Richard W. Brown,食野雅子,リチャード・W.ブラウン
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2002/10
- メディア: 単行本
- 購入: 10人 クリック: 22回
- この商品を含むブログ (58件) を見る
一箱古本市で出合った本。
出品者が付けた紹介文には、
「だいたんに年を重ねた一のコトバ。」
「1日1日を楽しくさせてくれる言葉の魔法集。」
サブタイトルの通り、ターシャ・テューダーの言葉を集めた本。
彼女の暮らしぶりを写した写真と共に紹介されていて、すぐに読める、どこからも読める。
強いなぁ...。
遠くて、眩しすぎる。
“思う通りに”って、その“思う通り”が分からないよ...なんて迷っている私でも、励まされる言葉があった。
一部だけ抜き出すと、文脈から読むのと違う意図になってるかもしれないけれど、私に響いた言葉。
近道を探そうとしないこと。
価値のあるよいことはみんな、時間も手間もかかるものです。
楽しい毎日でしたけど、そこへ戻りたいとは思わないわ。
年を重ねることは、それよりもっと楽しいことですもの。
いつか庭を作りたくなったとき...の参考になるページにも付箋を貼った。
Nobody knows
私が持っているのは、改定前のリトルモア版だ。
2001年に開催された『 I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.』を観に行った、横浜美術館のミュージアムショップで買った。
改訂版はまだ実物を見たことがない。
奈良美智さんのドローイングが大好きだ。
『 I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.』会場でも、ドローイングの貼られた部屋に大興奮した。
このドローイング集の紙質も好きで、触っていても楽しい。
ページをめくっていると心が落ち着くので、ときどき思い出したように開く。
中越地震の余震で心がざわついていた時、後悔や悔しさ・惨めな気持ちが襲ってきた時、ページを開く。
奈良さんの作品を好きになったお陰で、体験できたことって多い。
横浜だって、奈良さんの作品展でしか行ったことない。
横浜美術館以外行ってないけど。
弘前『A to Z』のために、初めて寝台特急にも乗った。
ウェブボランティアにも応募したし、出資もした(見事、満額戻った)。
奈良さんが挿画を担当していたから、よしもとばななさんの作品に触れられた。
よしもとばななさん、『キッチン』を読んで以来、苦手意識があったのだ。
だけど、『アルゼンチンババア』が最初だったか、再び手にして以来、今度はものすごく惹かれた。
そして、さらに他の本に出合うことにも繋がった。
「好き」の力ってスゴイよなぁ。
と、我ながら笑ってしまう。
奈良さんの作品が好きだけど、だからって現代アート一般が好きなわけでもなく。
そんなの、どの時代の作品についても同じだろうけどなぁ。
安西水丸 青山の空の下
今年亡くなってしまった、イラストレーター安西水丸さんを特集したムック。
特に「好き」と意識していたわけではないけど、「好きだと思って」と知人から貸してもらった。
面食いなので、かっこいいなぁとは思っていた。
水丸さんの仕事、水丸さんの言葉、水丸さんと村上春樹さんの対談、水丸さんへの言葉など。
付箋を貼った言葉。
水丸さんは、自分が「いいなァ」と思う絵を「いいなァ」と思えるまで描いて、「いいなァ」と思えたところで仕上げていたんです。(南伸坊さん)
好きなものを大切にしなさい。それが自分らしさとともに幸せに繋がっていくでしょう。(水丸さんが仰っていた言葉。証言集より)
村上春樹さんの言葉も、水丸さんとの対談だから出てきたのかな、と。
だからなるべく本物だけ見てね、生きてゆきたいという気持ちはある。好い加減なものを見たくないなという気持ち。だからレストランに行って好い加減なもの食うよりは、自分で好きなものを作って食べる方がいいし、走ってる方が苦ではないのね。(1984年の対談の中で)
私が唯一持っている水丸さんの本は、自費出版のイラストレーション集。
真ん中の見開きに自筆部分があるのだけど、それには急須のある食卓らしきイラストレーション。
ムックの中にこんなコメントがあって、納得した。
ぼくは急須の形が好きでは。どこから見ても、とても芸術的な素晴らしい形をしていると思うんですよね。画題としても好きでよく描いています。(「村上朝日堂」について)
村上春樹さんは苦手なんだけど、このムックを読んで、水丸さんが表紙を描いている村上さんの本を買ってみようかなと思った。
きょう、反比例 編集者・竹井正和
出版社 フォイル代表 竹井正和さんの著書。
竹井さんを知ったきっかけは、奈良美智さん。
奈良さんの美術展へ要った時に買った作品集『Nobody knows』の出版社が、竹井さんが当時代表を務めていたリトルモアだった。
竹井さんの発言が面白いので、Twitterもフォローしている。
4月に京都へ行った時に寄った禅居庵は、竹井さんのTwitterで知ったのだった。
しかし、本を書かれているのは知らなかった。
はやかわAntique & Crafts内の小泉商会の本棚で見つけた。
あの小さい棚だから、出合えたんだろう。
思っていた通り、というか。
傷だらけになりつつも、編集者として本に関わってきた過去を知ることが出来た。
これからも、命がけで、全力で、作家と出版と向き合って行くんだろうと感じた。
かっこよく整理された文章とは違う、熱のようなものを感じる本だった。
冒頭の「僕はもう最初っからあきらめて生きていた。」という文章に、ギューンと捕まれた。
“被差別部落”という単語を見て、その言葉を初めて知った中学生のころの衝撃を思い出した。
その人自身がどうしようもない部分での差別って、人を記号として見てしまうような差別って、過去や外国の話じゃないんだって知ったのだ。